現在の電子カルテの現状は「Death by thousand of clicks」というショッキングな題名の論文に代表されるのかもしれない。Obama政権ですすめられた電子カルテ化政策で、米国での2008年の普及率4%が2018年時点で96%まで急峻に推し進められた一方で、電子カルテが利用体験が悪く医療事故も起き、医師の負担も増えている。一回のER勤務で医師は4000回もマウスをクリックし、検査データが伝わらず医療事故の原因となっている。電子化された後でも90%の病院が連携接続しておらず、変わらず紙とFAXを継続している状況であるという。
さらに問題の根は深い。訴訟大国である米国では、電子カルテの不具合に対して、不具合の共有が守秘義務契約によって阻まれるという。また政府主導の急速な電子化ルテ化が未曾有の電子カルテベンダーの乱立という結果となり、利用者側の習得も難しいだけで無く、分断したシステム間の標準的通信規約がおろそかになり、カスタマイズに伴うコード変更一つで連携エラーを容易に起こすという。
誤警報も多く、一人の臨床医がICUで一日に最大7000件の警報を受ける状況のなか、実に85%〜99%が誤警報であるという報告もある。誤警報には訴訟を回避するだけとしか思えないものもある。例えば年齢を考慮せず性別だけから妊娠を考慮しているかどうかのアラート画面を、処方のたびに出すシステムは医師の疲弊を誘導しているとしている。医療システムへの訴訟リスクの高まりが、医師の負担に直結しているという皮肉な状況である。
翻って現在の電子カルテの現状を俯瞰した場合、それは電子的に清書された紙カルテに過ぎず、「真正性、見読性、保存性」を満たすが、データの二次利用、活用は人的労力でしかなしえず、機械処理に向いていない。すなわち電子カルテではなく「紙カルテ2.0」にとどまると指摘するものもいる。
京都大学の小林先生は真の電子カルテを、まだ見ないパーソナルコンピュータの理想像の一つであるダイナブックを例に示した。ダイナブックは「ダイナミックメディアを扱うことが出来る本のようなデバイス」であり、人間の思考能力を高め、子供でもプログラムが可能なものであるとされた。それを真似るなら、診療を支援し、医者がプログラム可能で、ガイドラインは自動で取り込まれ、医療機関横断的に情報を示すことが出来るように、データが患者の管理下にあるようなものが想定されるという。
電子カルテ1.0に至るマイルストーンとして、インターフェースをしっかりと解析できる基盤が必要であり、処理速度も高速でなくてはならない。治療ガイドラインを示す、関連文献を見せる、アドヒアランスを評価できるなどの機能が必要かもしれない。業務手順を最適化できる、プログラマブルな機能も必要だ。
そこを目指すには、ガイドラインは機械処理出来る形での提供が理想だし、単純な医療情報標準化を超えた次のレベルが必要ともしてきた。電子カルテのパッケージ化は、企業収益という意味では正しいが、利用者側からは正しくない。ただし機能改善とカスタマイズの切り分けも重要。電子カルテ1.0に向けた行動として、理想的で高度かつ明確な目標を立てることも重要だが、過去の多くの議論のなかにも既に多くのヒントがあるのだから、まず出来るところからしっかりと進めていくことも重要であるとした。