意思と無意識

人間の意思は、無意識の集合体からわき上がった行動結果を、より高次な意識体が「意味のあること」として認識した時点で意思となり、前後した行動は認知側でつじつまが合うよう時間軸をソートした状態で記憶されるので、結果的に意思が行動を支配してるように感じる。

という解釈があるそうだ。

翻って機械はどうなっているだろう。CPUもALUとCUで構成されており、投機的実行などしながら順番に処理することを放棄しつつ最終的にはCUが帳尻を合わせ、外部からは順番に処理したように見えるだけだ。ならばCPUの外側までソレを広げたらどうなるだろう。

細切れの情報を順番に蓄積するだけでなく、相互の関連性に着目し、複数の情報から数値モデルを組み立て、「意味のあること」として確定する。それらは情報のスープのなかで、島のように足場を築くだろう。島単体では厳密な順番制御を行ったとしても、島相互では時間的な相同性を求めない。その代わり、島同士の整合性がとれた状態を見つけて利用していく。

非同期処理を積み重ね、全てを利用するのでは無く、利用できる情報をつなぎ合わせて、利用できる者を使う。そういう処理系は、どことなく面白い挙動を示すものである。